言語喪失研究概観
京都ノートルダム女子大学英語英文学科
湯川笑子
二言語以上を知っている者が使わなくなった言語を以前と同じレベルに保持できな
くなる現象は、その程度の差こそあれ、ごく普通に起こる現象である。本稿は、脳の
損傷などの病的な原因によらず、自然におこる言語喪失の研究を概観する。本稿は紙
面の都合で、個人の中でおこる言語喪失にしぼって考察し、世代間でみられる社会現
象としての言語喪失は対象外とする。
本稿は次の三つの部分から成る。まず第一節では、言語の何が失われるのかについ
てこれまでの研究結果をまとめる。この点について二つの傾向が明らかになった。つ
まり、他の能力は全て喪失が認められるのに、産出技能のうちの発音の能力と、受容
能力全般は維持されやすいという傾向である。第二節では、どのような要因が喪失の
程度や速度と関わるのかについてまとめる。本稿では、これまでの研究が取り扱った
様々な要因のうち、研究の数や質の上で報告する価値があると認められる二つの要因
、つまり、年齢と喪失前の言語能力に焦点をあてる。一般的に、年齢の低い子ども、
特に7~8歳以下の子どもはそれ以上の子どもや大人よりも喪失の程度が大きく、速
度も速い。また、喪失前の言語能力が高い方が低いよりも言語喪失は少ない。第三節
では、言語喪失現象が起こる理由とそのメカニズムについてまとめる。以前に持って
いた言語技能がどの部分(聞き、話し、読み、書くなど)にしろ後退したと認められ
る場合に、説明は二つ考えられる。一つは、以前持っていた言語能力が頻繁に使われ
ないために変化してしまった場合で、今一つは、そういった変化は起こっていないけ
れども、その言語能力を取り出し言語処理をして「話し」たり「聞い」たりなどの言
語技能として使えなくなっている場合である。 言語能力が何らかの変質をとげる場
合には、その変化は無秩序におこるのではなく、その言語内部でルールを単純化する
方向に変化したり、よく使うもう一つの言語の影響を受けたりする。
現在の言語喪失研究は、残念ながら、多言語話者の育成のために具体的な提言がで
きるような段階ではない。しかし、本稿では、少なくとも使わなくなった言語の行方
をある程度予測することと、言語喪失研究が言語習得研究とともに、言語の変遷とい
う大きな枠組みの中で研究しうる分野であることを指摘した。